戦艦三笠
横須賀に行ってまいりました~♪
横須賀と言えば何を思い浮かべますか?アメリカ海軍基地、海上自衛隊基地、と海軍の町というイメージをお持ちな方も多いかと思います。今回向かった先は三笠公園です。
戦艦に詳しくない、という方も「坂の上の雲」の劇中でも描かれた日本海大海戦はご存知の方も多いのではないでしょうか。ヨーロッパから日本に対する戦力補充のために遥々やってきた、当時世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を日本海沖において日本の連合艦隊が総力を挙げて迎え撃った戦いです。戦艦三笠は日本艦隊の旗艦として、かの有名な東郷平八郎司令長官も乗っていた戦艦です。それがほぼその当時のままで修復、保存されているのです。
戦艦三笠は世界三大記念艦の一つだそうです。
もう二つは何だったかなぁ・・・。てっきりアメリカの戦艦ミズーリかと思っていたのですが、それではありませんでした。それはさておき、太平洋戦争が終わった時も相当なダメージを負った状態で生き残っており、しかし外観はスクラップ同然だったようです。戦後、太平洋戦争で戦い抜いた軍艦が次々に解体され、戦後復興の貴重な資材となっていく中、なんと保存を主体的に進めたのがアメリカ側だというのだから驚きです。
三笠の艦尾。
金色の「みかさ」の艦名プレートは建造当時の物だそうです。
建造されてから既に100年以上たって一般人の目に入るとは・・・建造した人たちも想像すらしていなかったでしょうねw
艦内に入ると当時の乗員が見ていたであろう風景が。
ちょうど艦の真ん中あたりの上甲板です。向かって右に見えるのは側面に向いた副砲がズラッと並んでいたであろう場所になります。打ち合いになった時には波しぶきと硝煙と爆音に支配されていたことでしょう。
船には軍・民問わずたくさんの旗がたなびいているのを目にした人も多いのではないでしょうか?
国籍を現す国旗はもちろんですが、たくさんの旗は旗流信号と言われ、一つ一つ重要な意味を持っています。中でも一番知名度が高いのはこのZ旗ではないでしょうか。
艦首より。
主砲の30センチ連装砲が大きな存在感を出しています。
艦橋より。
足元には東郷平八郎ほか、海戦時だれがどこに立っていたのか印がありました。
東郷平八郎と同じ目線で艦首を臨みます。
ちなみに、この艦首は皇居を向いているんですよ。
レーダーやミサイルが主流の現代と違って、当時はお互いが見える近距離(おおよそ10キロ以内)で鋼鉄の砲弾をまるで殴り合いのように打ち合っていたこともあり、砲門数と重厚感がまるで違います。
また当時はイギリスから軍艦を発注していたからか、全体的に装飾というんでしょうか、なんとなくお洒落というか、豪華な感じがあります。
軍艦に詳しくない人でも当時の船に直に見て乗れるので、お勧めです。
但し、軍艦というだけあってタラップは急なので、雨が降ったりして濡れているときには滑りやすいので注意が必要です。
DDG-172 護衛艦しまかぜ
皆さんおはようございます、こんにちわ、こんばんわ。
天保山にしまかぜがっ、てことで見学です。
旧帝国海軍時代、島風は世界で唯一40ノット以上を出せる快速駆逐艦でしたが、設計が複雑で、姉妹艦を作ることなく唯一1隻のみの建造で終了しました。米海軍の空襲を回避中に機関がオーバーヒート。航行不能に陥りあえなく米空母機の餌食となってしまいました。
以下、ウィキペディアより
「しまかぜ」は、中期業務見積りに基づく昭和58年度計画4,500トン型護衛艦2312号艦[1]として、三菱重工業長崎造船所で1985年1月13日に起工され、1987年1月30日に進水、1988年3月23日に就役し、同日付で第3護衛隊群隷下に新編された第63護衛隊に編入された。定係港は舞鶴。
1番艦の「はたかぜ」より排水量が50t大きい。また、主錨も「はたかぜ」までのホールス式からアドミラリティ式に変更されている。
当日は連れの車で出発です。
DC5インテグラ。
カッケー!!
後期型のようで実は前期型とのこと。
既に見分けるポイントはメーター類しかないだろうとのこと。やるなぁ・・・
ついでに言うと色は元々白だったはずなのですが・・・すごく、赤いです・・・
海遊館の隣の建物から岸壁に向かいます。
するといきなりしまかぜがドアップで迎えてくれます。
建物の出入り口からの1枚。
うん、余裕で収まり切りませんw
今回は艦橋見学の抽選もしており、見事連れが引き当ててくれました!
抽選のテント前にはしばらくすると長蛇の列ができ始め、待っている人からは「でかいなぁ」という声が上がっていましたが・・・
ちょくちょく舞鶴なんかで他の船見学している自分からは小さめに見えました^^;
垂直に近いラッタル(階段)を上り切って、丁度艦橋の屋上に当たる部分にやってきました。
この場所へは艦橋見学に当たった人しか登れません。非常にラッキーでした。
砲塔はバッチリ海遊館に照準を合わせているかのようですw
艦橋内からの展望。
護衛艦の艦橋なんて中々入れてもらえるものではありません。
こんな風に見えるのですね~。
艦橋内はすしずめ状態。
明らかな定員オーバー^^;
後ろ甲板では心臓マッサージなどの実践訓練や検閲時の公開訓練、ラッパ吹奏、果ては制服のファッションショーまでいろいろ見学できました。
なぜでしょうね、自衛官は皆イケメン揃いな気がしますwww
帰りはチェリー亭で昼食兼夕食。
麺・肉男盛に白ご飯。上の肉を汁に漬けながら食べると、これがうまい!
軽くご飯3杯はいけましたw
余談ですが、帰りに見かけたワゴンR。
明らかに黄色ナンバーの幅を越えているようですがwww
土日祝日はこういう面白い車にも出会えるから面白い!
日本自動車博物館
みなさんおはようございます、こんにちわ、こんばんわ。
今回は加賀百万石と言えば石川県。石川県と言えば、車好きのメッカ「日本自動車博物館」へ行ってきました。
日本自動車博物館は1978年に開館。当時日本初の自動車の博物館として注目を集めました。
展示台数も500台以上。
あのトヨタ博物館さえも凌ぐ台数です!!
これは・・・気分が高揚します!
さて、いよいよ艦内へ。じゃなかった館内へ入場です!!
館内の入口ゲートを通過すると、早速トヨタ2000GTがお出迎え。
入った時点で視界に入る名車とその台数に圧倒されます。
順番に回っていきます。まずはレトロなボンネットバスが展示してますが、こちら、車内も見学できます。
営業走行しているボンネットバスは乗ったことありませんが、なんとも懐かしい感じがします。
現代のバスとは車内の広さなんて比べるべくもないぐらい狭いはずなのに、なぜかゆったりとしているように感じます。
床に段差がないことと、シート自体も小型だったからでしょうか・・・
進んでいくと迷彩塗装のトラックが。
これはどうやら帝国陸軍で使われていたシボレーのようです。
アメリカ製ですが悪路に強く、馬力もあり当時1台4000円、主に大阪の第4師団で多く使われていたそうです。
こちらはスカイラインブースです。
初代からR34型まで展示しています。
右から31,32,33。左端の奥側にあるのは34型です。
31型は私の子供のころからの憧れの車です。
こんなピカピカの状態で保存しているとは。いつかは乗りたい一台です。
なんだこれ!? もしかして・・・
あ、やっぱり。皆さん分かります?実はこれ帝国陸海軍で使われた幻の軍用車「くろがね四起」。
なんとアメリカ軍のジープよりも6年も早く開発され、実用化された幻の4輪駆動車なのです。
開発実験当時の映像では、建物の石段でさえスイスイ登れてパワーも十分な様子でした。
戦後の日本の自動車は「アメリカのサル真似」なんて言われたこともありましたが、くろがね四起に関してはアメリカも閉口せざるを得ないでしょう。
こちらは日野コンテッサ。
日野自動車問えばイスズなどとしのぎを削る有名なトラックメーカーで知られていますが、かつては普通車も作っていました。
このコンテッサはかつてレースでも優勝し、デザインも性能も優れた自動車でしたが、メディアへの宣伝戦略が弱く、販売数は伸びず、あえなく消えていった不運な自動車です。
日産ブルーバード・マキシマ。
ブルーバードより一回り大きく、海外への輸出用として開発され、日本国内でも販売された。V6エンジンを搭載し、2000㏄と3000㏄が用意された。ミッションも4ATと5MTが用意されていた。またプリンスから日産へと社名が変わり、日産として販売されたマキシマの初代である。
これも私のお気に入りの1台。
こちらは90年代の車たち。
セリカ、アルシオーネ、RX-7など思わず胸が熱くなるような車たちが整列しています。
この他にも珍しい車、懐かしい車とたくさん展示されていて、とてもすべてを撮影することはできませんでしたが、非常に満喫できました。
ところで、車ってどんなイメージをお持ちになりますか?
ダイヤが4つ、もしくは3つ付いてて・・・
ですよねぇ!
江戸時代の大名かご
タイヤはないけど立派な移動手段。担ぐ人二人なので、2人力といったところでしょうか。
自動車博物館に展示してあるのですから、立派な車、ということですね♪
いや~、満喫しました。
展示車両の多さに圧倒されながら、一つ一つ見ていくのは大変ですが、それ以上にワクワクします。
懐かしいなぁ。これ欲しいなぁ。えっ、こんな車あったの!?なんてリアクションして楽しんだり、家族連れ、奥さん連れ、彼女連れの男性陣もここぞとばかりにもてる知識をひけらかし、日ごろの男として、父としての面目を保つチャンスですwww
若者の自動車離れが叫ばれる昨今。かつて、そしてこれからも人々の生活を支えてくれた、人生の1コマに彩を添えてくれた車たちを多くの人に知ってもらう機会がどんどん増えればいいな、と思いました。
白川郷
岐阜県の白川郷
荘川地区にあたるこの一帯は合掌造りの建築が立ち並ぶ、懐かしい日本の姿をとどめた集落である。
近年世界遺産として登録されており、「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」などがその保存にあたっている。さらに生活の場でもあるこの集落は、他の合掌造りの観光地とは一線を画すところでもある。
また「ひぐらしのなく頃に」の舞台モデルにもなった。
というわけで今回は「ひぐらしのなく頃に」のモデルとなった場所を中心に、白川郷の一部を紹介していきます。
飯島八幡神社/祭具殿白川郷ICを降りて間もなく見えてくる「道の駅白川郷」の向かいにある神社。
白川郷はどぶろくが有名で、どぶろく祭りというお祭りが存在する。
どうやらお祭りの開催地でもあるようだ。
ひぐらしのなく頃にでは祭具殿として登場。
祭具殿の中には・・・
白川クリーンセンター/前原屋敷
こちらは白川クリーンセンター。道の駅白川郷の裏手にあります。
下水処理センターなので観光地としては特に見向きもされない場所ですが、ひぐらしのなく頃にでは主人公の前原圭一の自宅のモデルになっています。
展望台/OPラストの雛見沢一望シーン
展望台からの集落の一望。
夕方なら尚良し、だったんでしょうがこればっかりは仕方ないですね^^;
倉庫/梨花ちゃんハウス
集落から展望台に向かう途中の坂道にあるただの倉庫です。
こちらも観光地としては見向きもされなさそうな倉庫なのですが、ひぐらしのなく頃にでは重要なポジションにあります。ヒロインの一人の古手梨花と、同じくヒロインの一人北条沙都子の家として登場しています。
白川八幡神社/古手神社
集落の中にある神社です。
地元の人もひぐらしの聖地巡りの巡礼者も多く訪れているようで、痛絵馬もたくさんかけてありました。
訪れた際にはぜひ一度お参りを。
和田家/園崎本家
こちらは有料で開放している和田家。有料とはいえ大人料金でも300円とリーズナブルな料金で家の中を見学できる物件です。ただ今回は時間の関係で外からの見学のみでした。
またひぐらしのなく頃にではヒロインの一人園崎魅音の実家、園崎本家のモデルとなっています。
吊り橋
こちらは白川郷ICの一つ南側の荘川ICから白川郷に向かう途中にある吊り橋です。
白川郷からだと下道を川沿いに17キロほど走った先にあります。
距離はそこそこありますが、信号がほとんどない道を走るのでさほど時間はかかりません。
劇中ではこの橋から主人公の前原圭一が突き落とされるのですが、結構な高さがあります。
うまく川に落ちればそこそこ深さがありそうですが、地面に落ちたら・・・
高いところが苦手な私には橋の上からの写真どころではありませんでした^^;
一番感じたのは「観光客が多い!」ということでした。
その観光客の集団から聞こえてきた言葉はほとんどがハングルか中国語。
10台以上の観光バスが夕方になってもひっきりなしに出入りしていました。
世界遺産に指定されて、平日にもかかわらず人民がひしめき合って賑やかなのは結構なことなのですが、自分としては以前の静かな雰囲気の方が好きでした。